山本小屋主人(美ヶ原高原開発者二代目)

山本 峻秀


略歴

1921年(大正10年)6月5日に生まれる
1937年(昭和12年)県立丸子農商学校を病気の為中退
1958年(昭和33年)去R本小屋設立 代表取締役
1962年(昭和37年)美ヶ原高原ホテル建設
1975年(昭和50年)白樺平山の家山本小屋建設
1980年(昭和55年)「美ヶ原賛歌」実業之日本社より出版
1988年(昭和63年)美ヶ原スノーモービルスクール開校校長就任
1992年(平成 4年)長野オリンピック調査委員として
            ヨーロッパ5ヶ国視察
1997年(平成 9年)美ヶ原高原の四季
            鞄ネ葉書房より出版

目次

笹小屋    中学生の遭難契機 父が建てる
観光地化へ    小屋の再建 土地交渉は難航
小屋の完成    遭難防止へ 道標を立てて回る
がき大将    先生の影響受け6年生で“卒業”
山小屋で暮らす    念願の郵便 配達人もてなす
志願兵に    外気マイナス30度 厳しい訓練
終戦    毎日息子の無事を祈った父
一知恵と結婚    2人で本格的に小屋の手伝い
美ヶ原を観光地に    尽力のラバさん 肺炎で急逝
10父親の死    「美しの塔」には“顔”を残して
11ホテル建設    山頂に大きな投資 全国へ宣伝
12高原のご来光    毎日色が変わる朝のアルプス
13美ヶ原スキー学校    受講生と料理囲んで語り合い
14渡辺薫美先生    「“無”が基本」毎晩開いた理論
15食料調達に苦心    野ウサギでジャンプライス
16海外視察    開発と保護のバランスに関心
17ビーナスライン開通    自然保護か開発か…矛盾に悩む
18美ヶ原高原    大自然に生かされている幸せ


「私の半生」は、「タウン情報」に掲載されたもの。聞き書き・佐藤文子氏

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