中信勤医協(協立病院)
理事長

宇留賀 行雄


略歴

大正15年7月3日、穂高町生まれ、鉄道教習所を修了する
14歳の旅立ち、東京無線を経て国鉄、穂高変電区へ就職
国鉄で歩みだした労働運動の中で日本共産党へ入党
戦後の大混乱期の中で失業者の組織化に身を投じ、自由労働組合をつくる
暮らしの相談所を設ける。借地借家人組合をつくり、全国借地借家人組合連合の会長を務める
松市議二期、長野県六期
松本協立病院の建設を始め、山形村の診療所、塩尻協立病院の建設、あずみの里をつくり、福祉・医療の守り手として奮闘。“あずみの里”副理事長

目次

安曇野生まれ    金融恐慌の波かぶり困窮生活
いつも空腹    カラスと競争し供え物頂戴
日中戦争の拡大    勇ましさの裏に感じた矛盾
日本無線に就職    母と毎日手紙をやりとり
穂高で病気療養    志高く 弁護士目指し猛勉強
穂高変電区職員    終戦−「りんごの歌」に開放感
熱海の鉄道教習所    浮浪者に底知れぬ矛盾感じる
労働組合の委員に    共産党の主張に共感 入党へ
失業対策同盟    労働運動への弾圧に断固反対
10松本自由労働組合    県内初の結成 初代書記長に
11書記長逮捕    仕事求め交渉中に仲間が暴動
12組合づくりに奔走    労農救援会 事務局長に推され
13時子と結婚    新婚で選挙戦 初の共産党市議に
14降旗市制を追及    市民税上乗せ課税を改正
15県議に当選    革新ブーム 現職破り3位で
16衆議院落選    県議に戻り病院設立に奔走
17県議を引退    みんなでつくる理想の社会へ


「私の半生」は、「タウン情報」に掲載されたもの。聞き書き・佐藤文子氏

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