原題舞踏家

田村 尚子


略歴

1931年(昭和 6年)12月12日横浜市鶴見区に生まれ
            満3才より現代舞踏の門に入る。
1949年(昭和24年)松本高等女学校卒
1949年(昭和24年)5月松本に田村尚子現代舞踏研究所を開設
1959年(昭和34年)大町支部開設
1973年(昭和48年)白馬支部開設
1979年(昭和54年)松本市芸術文化功労彰受賞
1986年(昭和61年)大町市芸術文化功労彰受賞
1986年(昭和61年)田村尚子舞踏研究所東京公演を催す
1989年(平成元年)東京に於て江口隆哉同門会講演に出演。
            以後、同公演に出演が続く
1998年(平成10年)松本市芸術文化市民協議会副会長
1999年(平成11年)田村尚子舞踏研究所50周年記念講演並に
            祝賀会開催


松本市芸術文化市民協議会理事。社団法人現代舞踏協会会員
毎年2回の自主公演、各地の芸術文化際、テレビ出演などの活躍、現在に至る

目次

三歳からけいこに    余興で見た舞踊に引き込まれ
学芸会で披露    「あの尚子ちゃんが?」驚きの声
父と母    歌舞伎好きで人のいい歯科医
松本へ疎開    女学校受験の直前、不安抱え
“都会育ち”    教室の隅に一人ポツンと・・・
勤労奉仕    毎日歩いて農家へ手伝いに
終戦    食べ物尽き練兵場跡で野菜作り
ダンス教室を開設    神田楽器店の二階で子供を指導
教室を研究所へ    松本でダンスを教える決意
10生徒の増加    けいこ場を松南高校体育館に移す
11第一回発表会    意見百出・・・無事に終え喜び合う
12「信濃の国」作品に    意外と好評 発表会で必ず上演へ
13けいこ場を建設    発表のステージ、公民館が炎上
14研究所開設10年    民話取り入れた舞踊を創作
15白馬支部スタート    民話創作 動きの中で美を表現
16母の支え    東京ふっ切り、新たな意欲沸く
17念願の東京公演    
18母との別れ    「天に捧げるレクイエム」発表
19新世紀に向けて    50年間で5000人以上の生徒たち


「私の半生」は、「タウン情報」に掲載されたもの。聞き書き・佐藤文子氏

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