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15 政界から引退 人の目気にせず−解放感と報恩


小沢後援会主催の石川さゆり
チャリティーショーで、石川さんを中に妻と

 政治家が自由に安心して活動するには、後援会の組織の結束が固く、会員の和が保たれなければならない。政治家の心の大きな支えとなるのも後援会。オレも後援会の人たちにはお世話になった。
 昭和59年、民社党の委員長だった春日一幸氏がオレに、女優の沢田雅美さんの後援会長を紹介してくれたことが縁で、はじめてオレの後援会主催で演劇会を開いた。後援会の人たちには日ごろお世話になっているので、何かの形で役に立ちたいと思っていた。しかもその会は、チャリティーショーということにして入場料の利益はすべて社会福祉協議会へ寄付した。
 沢田雅美さんを皮切りに、その後は農協観光が中心となって「島倉千代子」「石川さゆり」「川中美幸」「笹みどり」「大月みやこ」と演歌歌手を呼んで、後援会の多くの人たちに楽しんでもらった。
 いつも2000人ぐらいの人たちが集まった。特に「日本民主婦人の会」の人たちは、動員をかけてくれたり、裏方の世話をしたり、大変な活動ぶりだった。
 平成2年、オレは74歳になっていた。2月に総選挙が実施されたのだが、力及ばず落選した。
 オレは悔しかった。
 「もう限界だったのだろうか…」
 だれにも相談せずにオレは一人で決めた。
 「引退しよう」と。
 選挙に出ないことを決めると、どこか力が抜けたような気持ちになったが、半面肩の荷を降ろした解放感のようなものもあった。
 妻の千枝子が言った。
 「これで人の目を、人の言葉を気にしなくてすみますね」
 その通りだ。しかし、これから一生をかけて、今までお世話になった人たちにお返ししていかなければならないと思った。それは、これからゆっくりやっていこう、すべての人たちにお返しはできないかも知れないけれど。
 平成6年12月、民社党は解散した。これも非常に残念だった。
 オレは政治家はやめたが、政治には今も非常に関心がある。先日もイギリスの選挙で労働党が第一党となり、アトリー内閣以来あこがれていたのでうれしかった。当時資金カンパをして、オレたちは学者を派遣したことがあった。
 そういえば、さんざん自民党からはナマケモノをつくる、社会党からは革命などできないじゃないかと言われたことがあったな…。
 イギリスに続いてフランスでも社会党が政権をとった。こうして世界の情勢を見ていると、日本も労働党的な政党が強くなってもいいのではないかと思う。思えば、社会党と民社党が一緒になれればよかっただろうに…と考える。 最近の世論調査によると「支持政党なし」が圧倒的に多く、「投票に行かない」人が多くなったという。これは国民の政治離れを示しているとも言えよう。
 オレの考えるには、何故そうなったかというと小選挙区制による選挙の方法と、政党助成制度に問題があると思われる。
 小選挙区制について立案したのは海部内閣の時で、そもそも価格感の多様化の時代に小選挙区制が適合するはずがない。しかも、小選挙区と比例代表の双方に立候補を認めるなんて重複立候補ではないか。小選挙区で供託会を没収されたものが比例区で当選するというシステムにオレはただあきれるばかりだ。
 昔は公認候補となるために党員を増やせ、政党機関紙の読者を増やせが本部からの至上命令だった。ところが政党助成ではその苦労を重ねた党員や地方議員はさておき、国会議員の頭数で配布される。これでは政党助成どころか、「国会議員助成制度」だ。
選挙でけ血眼になって働くのは一般党員であり、地方議員だ。これらの人々を芝居の役者ではなく客席の観客にしてしまったことが、政党離れ、選挙離れ(投票率低下)の大きな原因になっている。こんなことを考えながら、オレはこれからの政治を改革してもらいたいと切に思う。
オレは民社党の春日一幸氏を心から尊敬していたが、あのような人物はもう二度と出ないであろう。なにしろ政治家は金が要る。指導者であればなおさらだ。
 オレの今の毎日は晴耕雨読の生活だ。少し耳は遠くなったが、幸い体調は良い。昔、十はあった無尽も今は一つだけになり、一カ月に一度そこへ出かけるのを楽しみにしている。
 とにかく今の世の中、金融もゴタゴタ、政治もゴタゴタだ。長生きをして世の中の行く末を見ていきたい。ただ変わらないのは、笹賀に吹くやさしい風だ。