目次前ページ次ページ

7 深志高に学んで フランス文化に魅せられクラブ創立


自作の「ゴーロア協会」のポスター
 もし、家業が順調だったら、継ぐべく薬剤師の道を選んでいたかもしれない。または医師になっていたかもしれない。高校1年までは日ごろの勉強も化学など理科系に力を入れていた。
 しかし、父の事業の失敗を通じて世の中を見る目が変わり、社会への批判が強まった。スタンダールの『赤と黒』『パルムの僧院』、モーパッサンの『水の上』などに影響を受け、原文で読むことを試みた。
 深志高校ではフランス語が科目にあり、担当はダンディで型破りな並木康彦先生だった。
 「授業中に城山へ行ってノルマンデイの民謡を一緒に歌ったり、フランス文化への関心を大いに高めてくれました」
 生徒にも圧倒的な人気があった。並木先生のおかげで高校2年の夏に仏文学の最高峰、渡辺一夫教授からモーパッサンの『首飾』を講読していただいたこともある。
 3年になってフランス語とフランス文化を学ぶサークルを作ろうということになり、「ゴーロア協会」を創立した。
 ゴーロアというのは、古代フランス人に由来する。仲間たちと、校庭でよくシャンソンを歌い、旗揚げの際は自分でポスターをかいて部員を募った。そのポスターは、今も松本の自宅に飾ってある。ゴーロア協会は現在も存続していると聞いてうれしい。
 とんぼ祭には、凱旋門を作って展示し、『シャンソン』という小冊子を発行したりして、すっかりフランス文化やフランス映画の虜になってしまった。
 とんぼ祭といえば高校2年の時の社会科学研究会の展示を思い出す。1954年のこと、風潮として高校生の社研といってもみんなマルクス・ボーイ。ソ連を礼賛し、人類の救済はモスクワから来るといった観の展示がしてあった。
 そこへ国語と日本史担当の古田武彦先生が入ってきて、「この展示はおかしい。ソ連の社会主義がそんなにバラ色かどうかはスターリンの死後、銃殺されたベリアの事件でも明らかではないか」と問いかけたのである。
 生徒たちは古田先生のプチ・ブル性を激しく批判した。すると先生は床に車座になって、理路整然と生徒たちと語りはじめた。今日では日本古代史の権威になられた先生の立派な姿は、後の大学紛争に身を置かねばならなかった時、どこかで思い出を重ねていたように思う。
 3年になりいよいよ大学受験という時だった。どこの大学へ行こうか…3年間の生活を振り返ると、興味は社会科学にあり、世界史や語学が得意だった。やはり文系しかないと思った。
 だが、一方で真剣に恋に悩んでいた。その人は美しい箱入り娘のような人だった。
 「あまりにも一方的で早熟だったものですから、ついて来れなかったようですね」
 失恋のために1年を棒に振ってしまったことも、今では本当に懐かしい。