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5 清水中学校 強烈な印象受けた「民主主義」


県下一強かった清水中リレーメンバー
(右から2人目)
 鈴木鎮一門下からは江藤俊哉、豊田耕児、小林健次、鈴木秀太郎の各氏をはじめ錚々たるバイオニストが排出している。松本音楽院の第一期生もほとんどがプロの道へ進み、バイオリンを片手に世界中に散在して演奏活動をしている。
 遊びながら子供を教育することは実にすばらしい。鈴木先生はそれを見事に成功させたと思う。
 ふり返ると鈴木先生はできる子供を伸ばそうとされたので、私のようにバイオリン以外にも興味がわいて、進みが遅れがちだった立場からすればつらかった。だが私はプロにこそならなかったが、今日までバイオリンを片時も離したことはない。
 時には文化大革命下の中国で、紅衛兵を前に即興的に弾いたり、サントリーホールのオープニングで独奏したり、同ホールで昔の仲間と鈴木先生の米寿のお祝いに弾いて、拍手を浴びたときなどは、気恥ずかしくもあったが、続けてきた喜びをしみじみ味わった。
 絵を描くことも好きだった。学校から帰ると、古市幸利先生に絵を習った。もっぱら水彩画を描いた。その後、白山卓吉先生にも師事した。
 白山先生の絵は自宅に何点かあるが出身地の池田美術館に3点あることを知り、最近、見に行って感無量であった。
 中学1年の時、中信美術展に初めて出品、石井柏亭氏から絶賛された。その絵は今も松本の自宅(望岳山荘)に残っている。2年の時は県展に初入選した。
 中学は清水中学校だった。昭和24年に入学したのだが、まさに新憲法のもとで、民主主義がスタートしたばかりだった。終戦直後、教科書は不都合な所を墨で塗らされて強い衝撃を受けただけに、文部省著作の『民主主義 上』には特に新鮮で強烈な印象を持った。
 それには「すべての人間を、個人として尊厳な価値を持つものとして取り扱おうとする心、それが、民主主義の根本精神である」と記されていた。
 特に担任だった社会科の嶋田正次先生は、民主主義の新しい精神を大いに鼓舞し、生徒会活動も全面的に生徒に任せる姿勢を取った。生徒会の会長候補にもなったが、残念ながら決戦投票に敗れて副会長になった思い出も、懐かしい。
 新制中学としての清水中学は、道路を隔てた清水小学校に仮住まいをしての出発だった。中学3年のときに校舎が完成。秋には第1回文化祭が開催され、実行委員会の責務を担った。
 陸上競技大会の主将もつとめ、リレーでは植原悦二郎元大臣杯を獲得したり、県の新記録も作った。
 そういえば初恋もこの少年時代。今のようにデートをするわけでもなく、ただ思いをはせるだけだったが、「…きっと思いは通じているはず」と信じてい