目次前ページ次ページ

3 玉音放送 捕虜にされるかも…9歳の涙


終戦直後、母と野尻湖で
 長野県は温泉が多い。この辺りでは郊外に崖の湯、扉温泉、近くには浅間温泉、美ケ原温泉がある。
 例えば農家の人たちは農作業が終わると、疲れた体を湯に浸し癒す。商家の人たちも、売り出しのあとは近辺の温泉を利用するのだった。
 中町からは小池町の停留所まで歩き、そこからチンチン電車に乗って浅間温泉によく行った。母とは“士族の湯”をよく利用した。そこのお湯は、いうなれば会員制。
 「当時は松本城の事務所に毎月一回、早朝に集まって竹の棒のクジを引き、当たると行けた。帰る時は小池町から中町まで、よく母の背におぶわれた記憶があります」
 浅間のお湯には、親せきも集まって、お菜(は)漬けやタクアンなどを持ち寄り、温泉に入ってはお茶を飲むのです。湯坂を上がった向かい角の店の“おしんこもち”もおいしかった」
 昭和20年の前半、それまで松本は戦火に見舞われていなかったが、近いうちにやられるといううわさが広がっていた。そのころ一般市民は「戦争に負ける」とは考えても見なかった。
 「商家の女性や子供は疎開するところが多くなったんです。夏休みになると、お隣の双葉眼鏡店の一家と梓村の真々部へ。八月十五日には、親たちとさらに金松寺山のふもとの農家の土蔵へ行くことになっていました。ところが終戦。荷物は疎開していたが、結局、金松寺山へは行かなくて済みました」
 玉音放送は真々部で聞いた。
 「じっとラジオを聞いているそばで、幼なじみの双葉の恭ちゃんのお母さんが僕の顔を見て、『嶺ちゃんは泣いているよ』というのです」
 その時9歳。第二次世界大戦が終結し、敗戦となった日本の国民生活はマヒしていった。
 それにしても玉音放送を聞いて、子供ながら涙を流した理由は何であったのだろう。
 「戦時中に見た映画で、ドイツが連合軍に攻められて、捕虜が虐待されるシーンがあった。日本もそうなるんじゃないかと思って」
 敗戦によって世の中の価値観が転換していくのを目のあたりにして、負けたことの重大さを子供心に受け止めた。
 「里山辺の方から何かしら異常な人たちが集団で歩いてくるのを見て、あの人たちは何だろうとも思いました。今思えば、中国人などの強制労働者だったのですね」
 ある日、源池小学校にアメリカ人がジープでやって来た。たしか名前をウイリアム・ケリーといった。進駐軍の教育担当の将校であった。
 生徒との懇談があって、生徒を代表して質問した。将校は教室の教卓に座って足を靴のまま生徒の机の上に投げ出し、生徒たちに話しかける。
 「ああ、日本は負けたのだ、としみじみ思いました」