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11 松商短大へ赴任 信大退官 新たな教育の場へ


松商学園短大学長
 世間様から見れば大学の教授というのは何でもできる、何でも知っていると思われるかもしれない。自分の専門については確かに深い研究を重ねているので識見は豊かである。だが、専門分野外となると、他の先生方との交流さえ薄く、まさに井の中の蛙である。もし私が教養部長を引き受けていなかったら、私も井の中の蛙だったろう。教養部には文理学部と同様に人文学や社会学系の立派な先生方が大勢おられた。その先生方との交流を得たことは最大の収穫であった。
 中国との国交が回復して以来、信大にも国費留学生が来るようになった。王舒鐘君と葉雄英さんが学生課長に連れられて、教養部長だった私のところへあいさつに来たのは昭和55年4月であった。二人は大変緊張している様子だった。雰囲気を和らげるために、私の学生のころ出会った中国人の馬成駿さんのことを話した。
 馬さん(私たちは「まあさん」と呼んだ)は、旧満州国吉林師道大学の助手で東大に留学。昭和16年、私たちがついた同じ教授のもとで研究しておられた。
 まあさんは万事控えめな青年で、最初はほとんど付き合いもなかったが、中国語を習いたいといった私の友人を紹介してから親しくなった。映画を見に行ったりお茶を飲んだり…。ところが、私は大学を卒業し松高へ赴任する直前、召集令状が来て金沢の部隊に入隊した。私が東京を去る前日、まあさんは私のための調度品探しに物資の乏しくなった東京の街を歩き回ってくれた。上野駅を発つ時にも、ホームまで見送ってくれたのである。即日帰郷させられた私は、すぐに松本を経由して上京。大学へあいさつに行った時だった。
 「よかったですね、よかったですね」と涙を流してまで喜んで下さったのはこの馬さん一人だけだった。そんな話を王君と葉さんにしたのだ。それから半年後のある日、中国から一通の手紙を受け取った。それは紛れもなく馬さんからだった。中国東北地方の師範大学の教授をしておられたのである。私も近況を知らせて40年ぶりに交遊が始まった。この世の不思議さをしみじみと思う。きっと葉さん(現在清華大学助教授)が陰で連絡をしてくれたのであろう。
 昭和58年4月1日、信州大学を定年退官。昭和17年1月、旧制松本高等学校へ赴任して以来40年余の教員生活にピリオドを打つ予定であった。ところが、その三月の半ば、松商学園高校の岩垂校長から間もなく創立30周年になるという「松商学園短期大学」に赴任のお誘いを受けた。私はむげにお断りもできず、当時の理事長赤羽茂一郎氏にお目にかかった。初めてお会いした赤羽氏はもの柔らかな口調でおっしゃった。
 「教授会をまとめていっていただければ結構です」私はもちろんそれだけではすまないであろうとは思ったが、お引き受けすることにした。かくしてもうしばらく教育の現場に身を置くことになったのである。