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5 下宿生活 居心地いい家 卒業まで世話に


東大時代
 叔父の家に厄介になっている限り、十分に勉強することができない。仕方がないので、叔父には内緒で父の仕事の取引先である日本橋の問屋さんにお願いしてみた。自宅は東大の近くの西片町にあり、そこには東大受験の時にお世話になっていた。
 「夏休みまで、置いていただけませんか」
 勇を鼓してのお願いだった。しかし、問題は叔父の説得だ。5月も中旬になり、夕方叔父の帰りを待ってその話を切り出した。
 「それじゃ、裏の原っぱに行こう」
 月の照る草っぱらに連れていかれた。家の中では叔母に聞かれ、まずいと思ったのだろう。納得してもらうには少し時間がかかったが、問屋さんで預かってくれるならとあきらめた様子だった。一カ月半ほどお世話になり夏休み明け、問屋さんのお宅を出て、本郷の根津権現神社近くの大工さんの家に下宿した。引っ越しは手軽なもので布団と机、書籍をタクシーに積んで手伝いもなく一回ですませた。
 そこの下宿は谷中の墓地や上野公園が近くにあり、散歩には良い所であり、通学するにも10分とかからなかった。おかみさんも良い人で下着の洗濯までして下さったり、時々お茶をいれて下さった。居心地がよく、近所に友人もできて卒業するまでそこにいた。隣室に法学部の学生がいたが、彼とは卒業するまで一言も話したことはなかった。
 話はさかのぼるが、入学したばかりの5月の初め、松本が恋しくなり夜行列車に飛び乗った。翌朝早く、人影まばらな松本の駅頭に立ったが、すでに親しい友人たちのいなくなった松本は、何だか空虚な感じだった。
 まず、松高を訪れた。お会いしたかった向井先生はおられず、教頭の宮地数千木(やちぎ)先生にお会いした。校長の桑木あやお先生にもお目にかかったが、私の顔を見るなり
 「君、この間東京で行われた同窓会になぜ出なかったの」
 同窓会は偉い人たちが集まるものと思っていたし、その当日は、始めたばかりの家庭教師のアルバイトの日でもあった。
 「実は家庭教師の日でしたので…」
 私は正直に答えた。
 その数日後、東京の私の下宿に宮地先生からお手紙が届いた。
 「桑木校長先生のご実家は小石川関口台町にある。次の日曜日に出頭せよ」という意味のことが書いてあった。桑木先生は日本物理学史の草分け的存在で、アインシュタインとも親交のある立派な方である。やや緊張して玄関の戸を開けた。
 「君、家庭教師などおよしなさい。君の出身の中学の先生に聞いてみると、そんなことをしなければならないような家ではないそうではないか。若い間は勉強に専念しなさい。どうしても困るなら奨学金をもらえるようにしてあげよう」
 用件というのはそれだけだった。ここで家庭教師をやめろと言われても相手は受験生で、まだ始めて1カ月にもなっていなかった。夏休みになり、家に帰って父に事態を告げたところ
 「校長先生のお志は有り難いが、奨学金を受けるほどわが家は零落しておらん。うちの体面にかかわる!」と、それっきり父は何も言わなかった。結局、私は家庭教師をやめ、奨学金も受けなかった。後にその子は陸士に合格、特攻隊に参加し戦死したという。