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4 東大合格し上京 6人2部屋の叔父の家に居候


松高時代、自宅庭で家族と
後列左から二人目
 私は性格上、何かグループをつくり先頭に立って旗を振るというようなことはなかった。
 学生寮へはよく遊びに行ったが、一緒に酒を飲んだりすることはなかった。みんなが文学論や社会批判など討論しているのをじっと聞いているだけで、その輪の中に入ることはなかった。それだけで結構楽しかったのだ。後に教師になってからも、学生相手の酒の席は夜半まで楽しく付き合えた。
 将来何になるか、高等学校で勉強していくうちに私の意思も固まってきた。父は医者にでもなったらどうかと言ったが、私はなりたくなかった。それは稲荷山の実家の隣が医者で、自分の時間のない生活の様子を見ていたためでもある。
 向井先生の影響も大きかった。私は数学が十分使える物理学が好きだったので、専攻しようと思うようになっていた。
 高等学校2年生の3月になって、父が問屋に用事があるので一緒に上京しないかと言った。私は東京へ行けるなんて思ってもいなかったので、うれしくなってついていった。汽車の中で私は父に言った。
 「東京大学を受験したいけれど…」
 「そうか。それじゃ下見に行ってみよう」
 問屋での仕事が終わったあと、父と東京大学へ行った。その日は入学試験の当日。安田講堂の前は受験生でいっぱいだった。たまたま物理学科を受験した先輩に会い、問題用紙をもらった。
 「少し難しいかな…」
 それを見て不安がよぎったが、父の「上野動物園に行くぞ」の声に、思わず苦笑した。考えてみれば、父にとっては東大も上野動物園も同じようなものだった。
 その日は、横浜に嫁いでいた姉の家に泊まった。
 翌昭和13年3月15日、東大受験。倍率は2倍半。
 当日、数学と物理は解けたが、力学など問題を取り違えて解答。英語はまだましだったが、ドイツ語は何を問われているのかさっぱり分からなかった。これはもう失敗したと思ったが、開けてみると合格だった。
 私はまた父に連れられて上京。とりあえず下宿が見つかるまで板橋の叔父の家に行こうということになった。
 「息子が東大に入ったんだ。下宿が決まるまで泊めてやってくれないか」
 酒が好きで気のいい叔父は
 「そりゃよかった。家でよかったら、ずっといなさい。お前の家は決してゆとりがあるわけじゃない。俺のところに泊まっていれば、一文もいらないんだから」
 私は「よろしくお願いします」と頭を下げた。だが、そういう叔父の家は子供が3人で家族6人。2部屋しかなかった。六畳と四畳半しかない部屋で、私と叔父は四畳半に寝るという生活が始まった。
 ある夜のことだ。近所で火事というので、叔父は「消火に行くから、お前も行け」と言う。しかも東大の制服と制帽をかぶって行けという。私は急いで制服に着替えてバケツを持って叔父についていった。叔父は東大生の私を近所の人たちに誇示したかったのであろう。私はただバケツを持って、闇の中に立っていた。火事は幸いボヤ程度で終わった。