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14 議員にピリオド 将来憂いつつ次代の力信じて


長野陸協総会で会長辞任を発表した
(2月2日・第一会館)
 議員生活27年間にピリオドを打つことになり、総選挙後病院へ行き精密検査を受けた。
 病院での検査の結果は徐々に判明しているが、脳梗塞(こうそく)もあることがわかり、とにかく今は体の回復に努めている。養生しながら一カ月のうち半分は東京で過ごしている。実は、東京で全国治水砂防協会々長の任務があるのだ。
 1993(平成5)年、金丸信氏の後を継いで今日に至っている。
 砂防協会は末次信正海軍大将の初代会長の後、河野一郎氏や田中角栄氏などが務め、私は七代目。この協会との縁の不思議さをかみしめている。
 父が内務省土木局長時代、農村の不況対策として砂防の予算をそれまでの9倍にしたことがある。その結果、経済的な効果が各方面に波及し景気が回復。後に予算を減らそうとしたところ、「それは困る」と、当時の長野県会議員の熊谷村司、今井梧楼、吉川亮夫各氏が砂防協会を結成したのがはじまりだ。いうなれば長野県が砂防協会をつくり、父がそのきっかけを作ったことになる。
 私は81(昭和56)年から16年間、長野陸上競技協会会長を務めてきたが、このほど辞任した。昨年末、創立50周年式典を無事に終了、さらに今年の都道府県対抗男子駅伝に長野が5位に入賞、任務を果たした感じがする。
 陸協についていろいろな思い出があるが、私が会長になった年、信毎マラソンに小杉隆代議士(現文部大臣)にそっくりな人がいるのを見つけ、本人が声を掛けてくれた。途中リタイアしたようだが懐かしい。
 今、私は一市民、一国民として政治を静かに見つめている。離れて初めて見えるものもある。
 例えば国の予算。どうして前年度の数字をもとにして予算がたてられるか!、ご用済みのものもあるはずなのに−。
 440兆円の赤字を日本はこれからどのように返していくのだろうか。2007年にはベビーブームで生まれた人たちが定年を迎える。以後人口は減るばかり。どういう方法でこれを切り抜けるのであろう。
 新宿にそびえる都庁舎も夕日に映えるアンコールワットにならなければよいが…。
 日本の将来を考えると憂えることばかりだ。だが、これからの若い人たちが必ず難問に立ち向かってくれることを信じたい。
 昨年末、有賀松本市長をはじめ地元の市町村長を中心に慰労会を開いていただき、吉村知事も出席して下さった。むしろ私の方こそ多くの皆さんに感謝したい気持ちでいっぱいだ。
 〈退きて遠く眺むる師走かな〉と、その時の感慨を俳句に詠んでみた。
 議員を退いて全く寂しくないと言えば、嘘になる。一抹の寂しさとともにホッとした気持ちがあることも事実だ。
 今、長年お世話になった地元の筑摩東の自宅から遠くの山々の美しさを妻とともにしみじみ眺めている。
 私は花が咲けば、必ず実になることを信じて歩いてきた。私が咲かせた花は小さいものだったかも知れないが、きっとどこかで大きな実となってくれることを信じたい。
 寒さに耐えながら咲いている庭先の葉牡丹が、今年はことのほか美しく見える。