彫刻家

洞澤 今朝夫


略歴

1914年(大正 3年)松本市に生まれる
1934年(昭和 9年)生家の土器類製造業に離別
1935年(昭和10年)浅草に仏像彫刻を学ぶ
1937年(昭和12年)松本市中町 太田南海先生の門下生
1943年(昭和18年)太田南海先生の門から独立
1950年(昭和25年)中信、信州美術会員
1953年(昭和28年)日本彫刻会(日彫会)会員
1964年(昭和39年)東京国立市 中村博直先生に師事
            (当時会員 元日展理事)
            第7回日展(山に憩う若者)初入選
            以来連続入選23回
1975年(昭和50年)日展会友
1986年(昭和61年)(改組)第18回日展(サングラスの女)特選
1989年(平成元年)第21回日展(望郷)特選
1990年(平成2年)日展無鑑査
1991年(平成3年)日展嘱託となる

目次

南新町に生まれる    父と2人っきりで楽しんだ銭湯
筑摩小学校へ    テストは勉強せず“実力勝負”
本町で奉公    給金袋ごと家に、未練ちらり
家業の手伝い    大町まで自転車で集金に
続かぬ仕事    「ウサギのうんこ」苦笑して聞く
進む道    太田南海先生の作品に衝撃走る
住み込みで入門    ひたすら修行 時に反抗も
太平洋戦争    軍需工場で慣れない仕事
敗戦    木彫りの仕事が好評 多忙に
10再婚    2人の子連れで 看護婦さんと
11日展へ 準備始める    思いがけない沢田先生との面会
12作品に専念    ビニールで覆った路地のアトリエ
13日展初入選    国体記念に自信作の「岳人」
14面を活かして    「ざっくりと」先生の厳しい言葉
15城田先生の教え    裸婦像作りまくって毎年出品
16妻と初旅行    徳島で作品修正 奈良、京都観光
17彫刻という仕事    妻が逝き8年 作品に助けられ


「私の半生」は、「タウン情報」に掲載されたもの。聞き書き・佐藤文子氏

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