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16 残念な劇場離れ 観客が通じ合うたのしさ大事に


「蔵」の映画宣伝(京都)
  昭和53年の冬だった。あの俊藤さんから電話があったのは…。
 「高倉健の主演で『冬の華』を撮らないか」
 脚本は倉本聡さんの脚本はおもしろかった。私は一も二もなく、久しぶりの劇場用映画の監督を引き受けた。東映時代から高倉健さんとはよく仕事をしていたし、倉本脚本とも息がピッタリ合い、うまくいった。
 その後もう一回、この組み合わせで作ったのが『駅STATION』である。この映画は息が合うという点では、前者よりも優れていたと思う。この『駅……』の成功で、『居酒屋兆治』『夜叉』『あ・うん』など、私自身の発案を入れて映画を作ることができた。
 宮尾登美子さん原作の『寒椿』や『蔵』の映画化は東映から依頼を受けた。特に『蔵』は俳優松方弘樹さんのプロダクションが、制作費を半分負担して作ったので結果が心配だった。しかも制作発表後、宮沢りえさんが降板。世間では話題となり、代わりに一色紗英さんを起用した。私は彼女のキャラクターは、むしろ宮沢りえさんより良いのではないかとひそかに思っていた。
 それだけに新人一色紗英さんが、ベテランの浅野ゆう子さんや松方さんに伍して立派に主人公を演じてくれ、監督として大変うれしかった。
 映画は劇場に多くの観客が入ってこそ、その価値が生まれる。今はテレビ映画やビデオが茶の間に侵入し、観客の足はなかなか劇場まで行かない。
 昔は映画館の入場料とラーメン一杯分がほぼ同じだった。今はどうだろう…。「映画の日」だけ安くするのではなく、日常もっとやすくすれば入場者が増えるかもしれない。あるいは、そんなことに関係なく、たとえば「大勢で聞く語り」から「一人で読む小説」にとって変わったように、現在、視聴覚文化は大きな変化の節目を迎えているのかもしれない。
 しかし、劇場という場で映像を介して観客が、第六感とでもいうようなものでお互いに通じ合う愉しさを失うとすれば、私はもったいない気がしてならない。
 振り返ると、私が松本市を離れてもう40年余になる。父も母もすでに亡くなり、私の帰るところはなくなった…。幼いころの私の家庭は、やや変わったものだったかもしれないが…。
 家族だけの暮らしではなく、いろいろな人が交じっていることで、世の中そのものと接することができたようにも思う。閉じられた家庭にいたら、さまざまな苦労や滑稽や貴さを身近に知りえなかっただろう。お陰で世間知らずにならずにすんだ。これは今、私が映画監督であるためには有り難かったと思う。
 こうして松本の暮らしを振り返ると、本当に懐かしい。時折、口では信州人の悪口を言ったり、壮言大語やしつこさをからかったりはするものの、私は紛れもなく信州人だ。
 とは言え、別に達観の域に達したわけではない。これからもまだ、いろいろな映画を撮っていきたいと思っている。たとえば、げらげら笑いながら泣けてくるような…。
 今、東映で、浅田次郎の小説『鉄道員(ぽっぽや)』を仕掛けている。