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2 飼い犬のミラ 心和む友達―母困らせよそへ


5歳のころ、都子ちゃんと
 「ちゃんとしまってありますね。弾の数は先月と変わりませんね」
 父は奥の部屋から黄色い布に包まれたピストルを丁重に差し出していた。
 警察官は変わりがないことを確認すると、出て行った。
 ピストルは、実は祖父が携帯していたものである。政治家の祖父は、軍縮をすすめる内閣を支える与党の院内総務として身の危険を感じていたのか、身近に置くようになったという。
 父は残されたピストルを祖父の形見のようにとても大切にしていた。私はそのピストルに触れてみたかったが、いつの間にか家から消えていた。戦時中、国へ供出したか、あるいは敗戦時どこかの池に投げ込まれたか…私には定かな記憶はない。
 それにしても政治をやるということは、命を張るんだなと幼心にも思ったものである。つまりそれは、会ったことのない祖父の象徴でもあった。
 いつも家で遊んでいる私にとって、心を和ませるものがあった。それはいつのころか飼っていたシェパード犬のミラだ。父はミラが家の中を自由にうろうろして内も外も区別なく歩くのが嫌いだった。ミラはそれをよく知っていて父の足音がすると、さっと外へ飛び出していくのだった。
 当時、近所では羊や牛を放し飼いにしており、それらに飛びかかっては母が謝ってまわっていた。時には流浪の乞食に飛びついたり、母は気の休まることがなかった。私は近所の都子ちゃんやトモちゃんとミラを県営野球場に連れていき遊ばせることが、とても楽しみだった。
 そのミラが、中華料理店の「竹の家」へもらわれることになった。私の家で飼われるよりは「竹の家」で飼われる方が幸せだろうという、大人たちの配慮からだった。確かに中華料理の残りなどをもらって私のところにいるよりは幸せなのかもしれなかった。しかし、私はとても悲しかった。
 父は何かにつけて「竹の家」を利用していたが、家族も時々連れていってくれた。「今夜は竹の家でご飯だ」と父が言うと、私は食事よりミラに会えることがうれしかった。
 表通りから料理屋のある小路に足を踏み入れると、遠くからミラの鳴き声がした。私たちの足音を感じて鳴いているのだ。私はミラのつながれている「竹の家」へ走った。
 ミラとの面会が終わったあとは食事だ。私はカニ玉やしゅうまいが好きでよく注文した。
 父はふだんほとんど家にいなかったが、こうして家族で食事をしていると必ず社会情勢の話をした。私には当然ながら難しく、自然に子供は子供の話をするのだった。
 食事が終わって「竹の家」を出る時、またミラを見に行った。
 「また来るからね」
 私は何度も何度も振り返りながら帰った。
 昭和16年4月、いよいよ小学生だ。その年はちょうど国民学校令が公布され、私は自宅から200m離れた本郷村立国民学校へ入学した。母は私が末っ子だったせいか、何かにつけ心配そうな口調で言うのだった。
 「いじめられるんじゃないよ」
 母は私に新しい洋服を着せてくれた。その洋服は何と慶応幼稚舎風のなかなかシャレたものだった。目立って何だか恥ずかしかった。これではいじめっ子の標的になるのではないか、私はおそるおそる学校に通うことになった。