燕山荘相談役

赤沼 淳夫


略歴

1923年(大正12年)1月24日穂高町有明に生れる
1941年(昭和16年)松本商業(現松商学園高校)卒
1946年(昭和21年)日本大学経済学部卒
1947年(昭和22年)株式会社燕山荘役員として山荘経営にあたる
1955年(昭和30年)北アルプス南部地区遭難対策協議会理事
1956年(昭和31年)穂高町観光協会副会長。
1980年(昭和55年)株式会社燕山荘・有限会社大天井ヒュッテ・
            同ヒュッテ大槍代表取締役社長。
1990年(平成 2年)長野県知事表彰
            (山岳遭難救助活動・安全登山指導により) 1991年(平成 3年)写真集“燕岳と安曇野”距p美社より出版
            新宿コニカプラザIにて写真展開催
            渇克R荘相談役
1996年(平成 8年)写真集“安曇野光彩”東京新聞出版局より出版
            銀座フジフォトサロンにて写真展開催
            日本山岳写真協会評議員

目次

燕の小屋    山に魅せられた父 夢を実現
大登山プラン    山岳映画の初期飾るフィルム
初の槍ヶ岳縦走    鋭い穂先に恐怖心 下山にホッ
苦手な運動会    だだこね無断欠席 父は怒らず
帝国ホテルの傘下へ    建て直しの中本館雪で倒壊
松本商業学校へ    電車通学で疲れクラブ入れず
舞鶴海兵団    すぐに体調異変 ろく膜で入院
終戦、復学    家を継ぐことに―卒業後帰郷
有明荘    村長の相談うけ父がが温泉提案
10石打丸山スキー場    棟梁を説得 徹夜でベッド完成
11別館増築    「水が出た」悲願ようやく達成
13写真への情熱    絵はがきコンクールで最高賞
14第2次ブーム    ヘリ出現で近代化一気に進む
15皇族をお迎え    秩父宮妃殿下囲み 喜びと緊張
16正真院新築    護持会長として再建に力注ぐ
17写真集を出版    引退後は安曇野の撮影に専心


「私の半生」は、「タウン情報」に掲載されたもの。聞き書き・佐藤文子氏

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